仏教の教えは難しいと思いますよね。
ところが、これを分かり易く伝えようとしたお坊さんがいます。
しかも、手紙で。
それこそ、何百通も書いたすごいお坊さんが蓮如です。
蓮如が、どの様に過ごしたのか?その生涯や教えを調べましたので、読んでいただけると嬉しいです。
それでは、どうぞ。
目次
蓮如とは?
蓮如とは、浄土真宗(じょうどしんしゅう)本願寺(ほんがんじ)第七世存如(ぞんにょ)の長男として生まれました。
同じ真宗宗派でしたが、下野高田の専修寺(せんじゅじ)や京都の仏光寺(ぶっこうじ)の繁栄にくらべて、本願寺のあまりにさびれように愕然として、15歳で本願寺の再興を決意。
そうです、このお寺を繁栄させたい情熱がほとばしりました。
17歳で得度(とくど)し、比叡山で学びを深めました。
そして、極貧ではありましたが、親鸞(宗祖)の経典に親しむ日々を送ったのです。
ところが、43歳のときに転機を迎えます。
父親が亡くなると、後継ぎ問題が生じました。
蓮如が庶子であることを理由に、父親の後室である如円尼(にょえんに)が、実の子供である応玄(おうげん)に跡を継がせようと動き出したのです。
しかも、門徒の多くが賛同していました。
その時に、ちょっとまった~と間に入ったのが、蓮如のおじさんである如乗でした。
如乗は蓮如の功績をたたえ、後継ぎは蓮如であることを主張し、説得にまわりました。
こうして、蓮如は本願寺第8世を後継することになりました。
蓮如の思想は一言で言うと、信心正因(しんじんしょういん)・称名報恩(しょうみょうほうおん)で表せます。
信心正因は、阿弥陀仏に一心に救済を頼めば、必ず阿弥陀仏は庶民を助けてくれて往生できる。
また、称名報恩は、親鸞のただ念仏するという、念仏以本(いほん)を更に進めたもので、助けて~という一念が往生できるかを決めるという考え方です。
こうして、本願寺では、蓮如の御恩報謝(ごおんほうしゃ)の念仏が主流となりました。
それからの蓮如は、めざましい活躍をしていきました。
信者へはわかりやすく教えを説いた手紙(御文または御文章)を何百通と送って、各地を巡業。
エネルギッシュな活動を展開していきました。
今で言う、通信教育のようなものですね。
通信布教というと分かり易いと思います。
その頃の基盤が、現在も各地の厚い信徒層のもとになっていると言えます。
その後は、京都山科に本願寺を建立。
五男の実如(じつにょ)に跡をゆだねて隠居。
山科で85歳で亡くなりました。
蓮如とは?~まとめ~
蓮如について、まとめてみました。
1.浄土真宗本願寺の第七世である存如の長男として生まれる。
2.本願寺のあまりにさびれように愕然として、15歳で本願寺の再興を決意。
3.蓮如の思想は一言で言うと、信心正因・称名報恩。
4.信心正因は、阿弥陀仏に一心に救済を頼めば、必ず阿弥陀仏は庶民を助けてくれて往生できる。
5.称名報恩は、助けて~という一念が往生できるかを決めるという考え方。
6.信者へはわかりやすく教えを説いた手紙(御文または御文章)を何百通と送って、各地を巡業。
7.京都山科に本願寺を建立。
8.五男の実如(じつにょ)に跡をゆだねて隠居。
9.山科で85歳で亡くなる。
いかがでしたか?
一時さびれていたとしても、本気で立て直すと、後世まで残る繁栄をもたらせることができるという事を、蓮如は教えてくれました。
それにしても、5人の奥さんがいた蓮如。
モテすぎですね(笑)。
最後までお読みいただきありがとうございました。