仏の世界(名僧)

沢庵和尚とは?

武士とお坊さんが試合をしたら、どちらが勝つでしょう?

当然、武士は刀を持ち、お坊さんは素手。

武士のが勝つと思いますよね。

でも、武士が負けを認めたのです。

この武士とは、柳生但馬守。
お坊さんとは、沢庵和尚です。

沢庵和尚は、あの宮本武蔵の師匠でもあります。

この沢庵和尚の生涯や波乱の人生をまとめてみましたので、是非よんでいただけると嬉しいです。

それでは、どうぞ!

目次

沢庵和尚とは?

沢庵和尚とは、宮本武蔵の物語にでてくるお坊さん。  

沢庵漬けの考案者として有名ですが、高名な臨済宗のお坊さんって、知っていましたか?

柳生但馬守の名前でも有名な、但馬の国(現在の兵庫県)に武士の子供として生まれました。

ちょうど10歳の時に、地元のお寺の門をたたき、浄土三部経(じょうどさんぶきょう)などを修学しますが、禅に興味を持ち、14歳で禅僧に転宗しました。  

禅僧として、さとりを開いたのは32歳のとき。

その時に、沢庵(たくあん)という名前を授けられました。

そして、どんどんと位を高めていきます。  

34歳の時に、大徳寺(だいとくじ)第一座となり、37歳で大徳寺153世住持(じゅうじ)となりました。  

つまり、最高位の位となったのです。

最高位になると、なんと紫の衣装(紫衣:しえ)を身に付けることが許されます。  

数年後に岸和田にある、日光教寺(にっこうきょうじ)、そして極楽寺(ごくらくじ)へ移りました。

 
ところが、ある日事件が起こります。

幕府が定めた元和元年大徳寺妙心寺(みょうしんじ)法度を、大徳寺・妙心寺自身が守っていない。

だから、両寺のお坊さんの出世(位があがること)は禁止されてしまったのです。  

でも、沢庵はすごい。

 
この禁止令を無視して、正陰(しょういん)というお坊さんの位をあげてしまったのです。

これに幕府は、大激怒。  

当然、大徳寺内でも、幕府への反抗者として非難するお坊さんもいました。  

しかし、まったく無視。

これが、沢庵和尚の強さです。  

沢庵和尚は、強硬派の仲間を率いて、更に幕府に反発。

 
抗弁書を幕府につきつけました。  

これで幕府の怒りは爆発。

とうとう沢庵和尚は、羽州上山(かみのやま)に配流されてしまいました。

この時、幕府の裏で動いていたのが、怪僧と言われた金地院崇伝(こんちいんすうでん)でした。

金地院崇伝は、臨済宗大覚派である南禅寺の第270世の住職です。

簡単に言うと臨済宗の最高位のお坊さんでした。

でも、沢庵和尚が天魔外道と評していたように、豊臣家を滅亡に導いた張本人であり、その後、江戸幕府の外交事務をしていたので庶民からは人気がありませんでした。

 
一方、沢庵和尚の人徳は、わかる人にはすぐに理解されました。  

沢庵和尚は、配流された羽州上山で、領主の土岐山城守に手厚く迎えられ、なんと、城外に庵(いおり)を建ててもらうなど、平穏な日々を過ごしました。

沢庵和尚は、参禅した土岐山城守に、剣禅一如(けんぜんいちにょ)の思想を授けています。

剣禅一如って難しい言葉ですが、剣も禅も今の一瞬を生きぬくために存在するものと考えればいいと思います。

そして、どちらも一生求めていくべき道でもあります。

 
配流が許されたのが、3年後でした。

羽州上山を離れて、2年近くを神田の広徳寺(こうとくじ)で過ごした後、大徳寺に帰りました。

その後に、二条城で徳川家光(いえみつ)に拝謁(はいえつ)すると、家光は沢庵和尚の人徳の深さを知り帰依します。

そして、品川の東海寺(とうかいじ)の創建を沢庵和尚に要請します。

また、晩年は後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)の厚い支援も受けました。

 
晩年は平穏な日々を過ごし、73歳で亡くなります。

辞世の偈(げ)は、夢だったそうです。 

偈とは、詩句のことです。  

沢庵和尚とは?~まとめ~

沢庵和尚について、まとめてみました。

1.但馬の国の武士の子供として生まれた。

2.10歳で出家し、14歳で禅宗に転宗。

3.32歳でさとり、沢庵という名前をもらう。

4.37歳で大徳寺153世住持となる。

5.大徳寺妙心寺法度を守っていないと、お坊さんの出世を禁止される。

6.幕府に反抗し、羽州上山に配流される。

7.許されたあとに、徳川家光や後水尾上皇が帰依する。

8.平穏な日々を過ごし、73歳で亡くなる。

いかがでしたか?

本当に信念をもっていきると、幕府の敵が、いつの間にか帰依までされる様になる。

本当に人生って、何が起こるか分かりませんね。

真っ直ぐ生きることの大切さを沢庵和尚から学びました。

これを書いているのが、夜中ですが夜食にお茶漬けが食べたくなりました。

もちろん、沢庵の漬物も食べた~い(笑)。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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