お経を聞くと、まったく意味が分からないので眠くなりますよね。(笑)
それって、当たり前なんです。
英語を知らないのに、英語でずっとしゃべられるのは、はっきり言って苦痛ですよね。(笑)
お経も同じです。
日本語ではなく、漢語を使っているので、簡単に言っちゃうと外国語を聞いているのと同じなんです。
でも、お経の成り立ちや意味を知ることで、ぐっとお経の事が身近に感じられる様になります。
そんなお経について、調べてみましたので、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。
それでは、どうぞ!
目次
お経とは?
お釈迦様がいた時代には、その教えを記録に残すことは、御法度であったと言います。
学校の勉強みたいですね。
暗記しなさい!という学びの世界でした。
でも、お釈迦様が亡くなった後に事態は急変しました。
信者の中から、もうお釈迦様からあれこれ指図されることがなくなるという人が現れました。
これは大変です。
このままでは、お釈迦様の教えが正しく伝わらなくなる。
数々の尊い教えを正しく伝えていくために、その方法を弟子たちは考えました。
これが、経典を編纂する事でした。
お釈迦様の十大弟子を中心に数百人の弟子たちが、その記憶をたどりながらつくりあげたのが、お経です。
お経には、お釈迦様の教えの大事なエッセンスが詰まっています。
そのお経ができるまでをまとめてみました。
お経ができた理由とは?
このままでは、お釈迦様の教えが正しく残せない。
そう考えた十大弟子のひとりであるマハーカーシャパ(魔訶迦葉)は、500人の出家者(五百羅漢)をマガダ国の首都ラージャグリハに集め、お釈迦様の教えを確認する作業をみんなで行いました。
これを第一結集(だいいちけっしゅう)と言います。
簡単に言うと、大きな会議の様なものです。
この会議では、お釈迦様と最も多くの旅をし、多聞第一(たもんだいいち)と言われたアーナンダ(阿難)が、お釈迦様の教えを暗誦(あんしょう)し、他の弟子たちが間違いない事を確認したのちに、みんなで暗誦しました。
また、戒律については、アーナンダの代わりに自律第一(じりつだいいち)と言われるウパーリ(優波離)が暗誦しています。
こうして確認されたお釈迦様の教法(きょうほう)は、のちにまとめられました。
これを経蔵(きょうぞう)とよびます。
また、戒律をまとめたものは、律蔵(りつぞう)とよばれました。
これに経蔵の注釈や解説である論蔵(ろんぞう)を加えたものが三蔵(さんぞう)とよばれます。
なお、会議の内容は、当初すべて口伝で伝承されていました。
経典として文章化されたのは、紀元前1世紀頃にアルビハーラで開かれた4回目の結集(会議)と言われています。
お経の目的と効果は?
お経について、いろいろ知りたい事が思い浮かびましたのでまとめてみました。
お経とはどんなもの?
お経は、仏教徒のための教えが説かれた経典(経典)のことです。
経は、サンスクリット語(古代インド語)の糸という意味の言葉、スートラを訳したものです。
糸は、いろいろな色や服の様な形に変わる様に、お釈迦様の教えが色々な表現としてダイナミックに伝わること。
まさに、教えは仏教の糸の様ですね。、
お経は何語?
お経はインドの言葉で書かれていました。ただし、インドは多数の言葉が入りまじった国で、お経の言葉も2つある。ひとつが大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の経典が書かれたサンスクリット語。もう一つが小乗仏教の経典が書かれたパーリ語であります。さらにチベット語の経典もあります。
日本に伝えられた経典は、中国を経由したため漢語経典です。日本ではこの漢語経典を原典として、あえて日本語に翻訳せず用いてます。
だから、聞くと理解できず眠くなります。(笑)
だって、漢語なのだから!
でも、外国語なので、何だかわからなくて、かえって有り難い言葉に思えますね。
誰がつくったの?
お経はお釈迦様のお亡くなりになった後、魔訶迦葉(まかかしょう)を中心とした十大弟子と約500人の弟子(五百羅漢)たちが経典編纂のために集まりました。
しかし、言葉を書き留めていたわけではなく、お釈迦様の教えの内容に聞き違いがないかをお互いに口頭で確認しあっただけでした。
そして、数百年ののちに、ようやく文字で記録されました。これが、小乗仏教の経典となりました。大乗仏教の経典は、お釈迦様の教えそのままでは
なく、在家の庶民も救うために後世の仏教徒たちが、これこそお釈迦様の真の教えであるとの信念のもとに創られたものであります。
ちなみに、2世紀頃に文章化されたのが、般若経(はんにゃきょう)、法華経(ほけきょう)、維摩経(ゆいまきょう)、華厳経(けごんきょう)、阿弥陀経(あみだきょう)、無量寿経(むりょうじゅきょう)、観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)です。
3~4世紀頃に文章化されたのが、解深密教(げじんみっきょう)、楞伽経(りょうがきょう)、勝鬘経(しょうまんぎょう)、涅槃経(ねはんきょう)です。
6~7世紀頃に文章化されたのが、大日経(だいにちきょう)、金剛頂経(こんごうちょうきょう)です。
お経はどうやって広まったのか?
仏教が広まると同時に多くの経典が持ち帰られました。
これらの経典は、はじめは写経によって伝え、広められました。
のちに印刷技術が発展すると、木版印刷によって経典を量産することが可能になりました。
印刷技術は、すごい発明だったのですね。
なぜ、お経をつくったのか?
お釈迦様の教えを正しく伝えていくために、お釈迦様の教えを書き留めた経典が誕生しました。
お釈迦様が説いた教えの経典には、如是我聞(にょぜがもん)、つまり、私はお釈迦様からこのように聞きましたという意味の言葉で始まっています。
お経を伝えたり、訳したのは誰?
中国からインドまで経典を求めて旅をしたことで有名なのが7世紀の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)です。
「西遊記」でその活躍が知られる。玄奘は657の経典を持ち帰り、これを中国語に翻訳しました。
ちなみに三蔵とは経律論(りょうりつろん)のことで、これに精通した僧侶のことを三蔵と言います。
なかでも最も有名なのが玄奘でした。
鳩摩羅什(くまらじゅう)も経典の翻訳に従事した西域の僧侶です。
また、日本にも遣隋使(けんずいし)や遣唐使(けんとうし)として留学した僧によって、多くの経典がもたらされました。
どれくらいの種類があるの?
俗に八万四千の法門ともいわれ、数多くの種類があるが、正確な数字は不明です。
分類は次のとおりです。
内容別には、いわゆる三蔵があります。
これは、経・律・論の3つのことです。
経はお釈迦様の押しをまとめたもの。
律は仏教教団の戒律を規定したもの。
論は後世の仏教学者が経の内容に注釈をつけたり研究したもの。
教義別には、小乗仏教の小乗経典、大乗仏教の大乗経典、密教の密教経典があります。
小乗経典はお釈迦様が弟子たちに説いた教え、大乗経典はお釈迦様の教えを在家の信者たちに説くためにつくられた経典、密教経典は基本的には大乗経典に入るが、内容は密教の奥義を説いた経典です。
時代別には、経と律の原始経典、ついで大乗経典では最も根本的な経典である般若経典、そのほかの大乗経典に法華(ほっけ)系経典、華厳(けごん)系仏典、浄土(じょうど)系仏典があります。
さらにお釈迦様の亡くなる前後の軌跡を説いた涅槃(ねはん)系仏典、密教の教えを説いた密教系仏典があります。
なぜ、お坊さんは読経(どきょう)するのか?
お釈迦様の時代や亡くなった後、弟子たちはその教えの内容を確認しながら経典の編纂を行うために、幾度も読経を繰り返したと考えられます。
声を出して読むことによって、経文を覚え、お釈迦様の教えを学びとっていくわけです。
また、経を読むこと自体に功徳力があると信じられ、考えられています。
日本では、中国から経典が伝えられたこともあって、その当時の主流であった中国南方の発音の呉音(ごおん)でお経は読まれます。
ただ、例外もあって、密教の経典は漢音(かんおん)で読まれるものもあります。
お経の宗派別違いは?
キリスト教やイスラム教は、それぞれ聖書やコーランと言った聖典(教え)が1冊あります。
しかし、仏教の経典は、インドや中央アジアで次々と生まれたので、めちゃくちゃ沢山存在します。
各宗派の開祖(教団を始めたお坊さん)は、大量の経典の中から、自分が信じる経典をそれぞれ選び、根本聖典としました。
そのために、それぞれ宗派によって重んじる経典が異なります。
教相判釈(きょうそうはんじゃく)とは?
教相判釈とは、各宗派の開祖がその聖典を選んだ理由を正当化する行いのことです。
例えば、中国の天台宗の開祖・智顗(ちぎ)の五時の教判(きょうはん)があります。
お釈迦様の教えを時期によって5分類し、最後の8年間に教えた法華経(ほけきょう)が最高の経典と位置付けました。
また、浄土宗の法然は、念仏を唱えて極楽浄土へ行く方法として、浄土門(じょうどもん)を選択し、その根拠として、浄土三部経を根本経典としました。
宗派別の根本経典とは?
教相判釈により選択された根本経典は以下のとおりです。
法相宗:解深密教(あらゆる事象はすべて心が作り出す)
華厳宗:華厳経(世界をあまねく照らす廬舎那仏の世界を説く)
律宗:4分律(受戒したものが守るべき具足戒を定める)
天台宗・日蓮宗:法華経(すべての人は成仏できる)
真言宗:大日経・金剛頂経(生きながらに成仏できる)
融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・時宗:浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経のことで、念仏で極楽浄土へ行けると説く)
臨済宗・曹洞宗・黄檗宗:なし(禅により悟りの境地を見出すため、根本経典はない)
お経とは?~まとめ~
お経とは何かをまとめてみました。
1.お経とは、お釈迦様の教えの大事なエッセンスを文章にしたもの。
2.日本に伝えられた経典は、中国を経由したため漢語で書かれたものを用いている。
3.魔訶迦葉を中心とした十大弟子と約500人の弟子(五百羅漢)たちが経典編纂のために集まったのが最初。
4.これらの経典は、はじめは写経、後に印刷によって伝え、広められた。
5.お経は声を出して読むことによって、お釈迦様の教えを学びとり、功徳を得ることができる。
6.各宗派の開祖は、大量の経典の中から、自分が信じる経典をそれぞれ選び、根本聖典とした。
7.教相判釈とは、各宗派の開祖がその聖典を選んだ理由を正当化する行いのこと。
いかがでしたか?
普段なにげなく、お経を聞く事があったと思いますが、これを機会に少しでも興味を持っていただければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。