今年のお彼岸はいつ?と聞かれて、
なんとなく春と秋にあること、お墓参りに行く時期という事はわかりますが、具体的な時期って、すぐに思い浮かびませんね。
そこで、簡単に憶えられるようにまとめてみました。
それから、お彼岸の彼岸の意味についても調べました。
お釈迦様は、出家して修行をすれば悟りを得、彼岸へ渡れると教えています。
では、出家していないと渡れないのか?
実は、そんな私達でも渡る方法があります。
その裏技をご紹介しちゃいます。
それでは、どうぞ!
目次
お彼岸の時期はいつ頃?期間は?
時期はいつ?
お彼岸とは、春分と秋分の時期のことを言います。
2016年で言えば、春分の日が3月20日、秋分の日が9月22日となります。
期間はどれくらい?
お彼岸の期間は、春分・秋分の日を中日として、前後各3日を合わせた7日間になります。
そして、最初の日を彼岸の入り、最後の日を彼岸明けと言います。
お彼岸とは?仏教との関連は?
お彼岸は時期や期間のこと!
つまり、暦(こよみ)のことなのです。
暦について
彼岸とは、暦でいう雑節(ざっせつ)の1つです。
雑節とは、農業をするために必要な季節を現わす目安として使われていました。
また、昼と夜の時間が同じになり、暑くも寒くもないほどよい季節なので、
極楽浄土にいる様なイメージで、仏教との関連が定着していったようです。
言葉の語源
その彼岸という言葉は、仏教の言葉が語源とされています。
お釈迦様の教え
お釈迦様は、どうしたら人は幸せになれるのか?を教えてくれました。
それは、幸せになるためには大きな川を渡らなければならない。
その川を渡るためには、お釈迦様の教えを実践し、煩悩の炎を消すことだと説かれています。
彼岸(ひがん)と此岸(しがん)
この川の向こう側を彼岸、わたる前を此岸といいます。
彼岸とは、欲や煩悩から解放された世界。
サンスクリット語で、パーラム。
また、渡ることを、イターと呼びます。
つなげると、パーラム・イター。
そうです、般若心経の波羅蜜多の事です。
此岸とは、私達がいるこの世界。
欲や煩悩にまみれた世界のことです。
サンスクリット語で、サハー。
よく聞く、娑婆(しゃば)の事です。
此岸は何故?幸せではないのか?
お釈迦様は、私達がこの此岸に住んでいる間は、真の意味で幸せにはなれないと教えています。
小乗仏教(しょうじょうぶっきょう)では、この世が苦に満ちているからと教えています。
その苦とは、四苦八苦(しくはっく)の事。
これが、私達を悩ませ苦しませると教えます。
また、大乗仏教では、渇愛(かつあい)こそが、不幸の原因と教えています。
言い換えると、欲望には2種類あります。
1つ目は、単純な欲望(これをカーマと言います)
2つ目は、渇愛(これをトリシュナーと言います)
欲望は、満たされればおさまりますが、渇愛は、満たされれば更に大きく膨らむ欲望です。
よく、幸せの方程式を用いますが、幸せ=満たされた心÷欲望となります。
つまり、欲望がどんどん膨らめば、幸せ(幸福感)は小さくなります。
渇愛とは、のどの渇(かわ)きに例えられます。
こころの奥底に、いつも満たされない欲望が、見え隠れしていて、あらゆる場面で表に出現し、常に苦しめているということです。
たとえば、車が欲しい、新しい服が欲しい、美味しいものが食べたいとします。
一次的に、それが叶っても、更にもっといい車が欲しい、もっと素敵な服が欲しい、もっとたくさん美味しいものが食べたいという欲がつきません。
つまり、満たされない欲望の樹海をさまよっている状態です。
これが、此岸の世界です。
彼岸を渡るためには?専門家を育成?
お釈迦様は、幸せになるために、此岸から彼岸へ行くための川を渡る専門家の育成をします。
それが、出家者です。
お釈迦様は、川を渡るには、身ひとつでないと泳げない。
(服を着たまま、財産をもっていける訳がない)
また、自分一人でも泳ぎきれるかわからない。
(妻子も捨てて身ひとつになりなさい。)
そして、渡りきった後には、後に来る人が渡れるように橋をかけるように教えました。
まとめると、小乗仏教は、渡ったもの(出家者)しか彼岸に行けない、大乗仏教は、渡った後に直接渡れない人もこれる様にする教えと言えます。
実は彼岸へ行かなくてもOK?此岸で幸せになる方法とは?
彼岸へ行くために、小乗仏教では、四諦・八正道が教えられています。
つまり、出家してこの教えで修行すれば彼岸へ渡れるという教えです。
でも、普通に暮らしている一般人には、この生活は無理です。
しかし、大乗仏教では、波羅蜜多(彼岸へ渡る)には、智慧で渡ればよい!と教えています。
つまり、修行してわざわざ川を渡り彼岸へ行かなくてもよいという意味です。
言い換えると、此岸にいながら、彼岸の知恵を身に付ければ良いと教えているのです。
彼岸の智慧とは?6つの方法とは?
此岸にいながら、彼岸に渡る智慧とは、六波羅蜜(ろくはらみつ)を実践することです。
それでは、6つの実践方法をお伝えします。
1.布施(ふせ):お布施をすること
お布施とは、誰かにものをあげること。
また、無条件(無欲)で、ただあげること!
ただし、あげたくないものを無理してまであげる必要はありません。
2.持戒(じかい):戒律を持って生きること
戒律(かいりつ)とは、5つを言います。
①殺生しないこと
②盗みをしないこと
➂邪淫に溺れないこと
④嘘をつかないこと
➄酒を飲まないこと
3.忍辱(にんにく):耐え忍ぶこと
忍耐というと怒りたい時に、ぐっとこらえて我慢するイメージがあります。
どちらかというと、
自分も必ず他人に迷惑をかけています。
だから、それを自覚すれば、他人の迷惑も許すことができるという感じです。
4.精進(しょうじん):努力すること
精進とは、血のにじむような努力の事ではありません。
どちらかと言えば、あたりまえの事をあたりまえに行い、ゆっくりと着実に努力する感じです。
5.禅定(ぜんじょう):座禅をすること
禅定とは、実際に座禅をしてもよいのです。
ただ、どちらかと言えば、禅的な生き方をするという意味です。
つまり、ごはんを食べる時はひたすらごはんを食べることに集中し、それ以外を考えない。
仕事の時は仕事に、遊ぶときは遊びに専念をすることです。
集中して、そのものになりきること。
言い換えると、何かをしながら他をしないこととなります。
6.智慧:前の5つを実践し得られる智慧のこと
この実践をする中で、智慧が深まり、欲望の炎を消す心境になれることで、此岸にいながら、彼岸に渡れるのです。
お彼岸にやる事(習慣)
仏教では、中日(春分・秋分の日)にご先祖様へ感謝をします。
残る6日(前後3日間)は、悟りの境地へ達するための必要な六波羅蜜を1日に1つずつ修める日とされています。
また、牡丹餅(ぼたもち)・御萩(おはぎ)を先祖にお供えする習慣もあります。
お彼岸とは?~まとめ~
今まで、お伝えしました内容をまとめました。
1.お彼岸とは、春分と秋分の時期のこと。
2.お彼岸の期間は、春分・秋分の日を中日として、前後各3日を合わせた7日間のこと。
3.仏教用語で、彼岸とは、欲や煩悩から 解放された世界。
4.此岸とは、私達がいるこの世界、 欲や煩悩にまみれた世界のこと(娑婆)。
5.此岸にいながら、彼岸に渡る智慧とは、 六波羅蜜(ろくはらみつ)を実践すること。
6.6つの実践方法とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧のこと。
7.お彼岸の中日に、ご先祖様へ感謝をし、残る6日(前後3日間)は、悟りの境地へ達するための必要な六波羅蜜を1日に1つずつ修める日とされていること。
いかがでしたか?
今、書き終わったのがちょうど夕方の3時。
書いていたら、牡丹餅が食べたくなりました。
さっそく、和菓子屋へ行きたいと思います(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。